嬉しいから笑う
悲しいから泣く
こういった、「当たり前の反応」とも言える行動であっても
実は生まれた後に「学ぶ」ことによって身に付ける反応になります。
もちろん、もともと備わっていた感情・反応という要素もありますが、
「こういう時はこうする」ということを学習することで、より「人間らしく」成長していくことになります。
一度身に着けて・覚えてしまったことは、ある意味で「悪用」することもできるものであり
まだできることが少ない幼い時期ならではの、”だからこそ”の振る舞いを見せることがあります。
その中でも、「泣くことによる周囲の反応」を覚えた後に
一度は必ず「試してみる」ことの1つとして、「嘘泣き」があります。
成長過程の1つとはいえ、首位を困らせてしまうこととなります。
周囲の「自分への関心」を試している
嘘泣きをする意味としては、多くの方が察する通り
- かまって欲しい
- 泣くことで起きる反応と同じことをして欲しい
以上の2つを想定することができます。
最も単純な「私、泣いてるよ」アピールという、非常に幼稚な振る舞いは幼いからこそでもあります。
これはいずれ、歩けるようになった後に「突然座り込む」という振る舞いへと”進化”します。
そしてその際の意味、嘘泣きと共通するものがあり
- 座り込んだことに気付いてくれるのか
- どういった反応をするのか
というものであり、結局は
「どの程度、自分を気遣ってくれるのか」
ということを、試していることになります。
「承認欲求」の芽生えでもある
この「関心を引きたい(持ってもらいたい)」ため行動を
たかが嘘泣き
たかが「かまってちゃん」
と片付けてしまうのは、危険な場合もあります。
それは「自己承認欲求」という、人間が生きるうえで欠かせない
「自信」につながる、非常に大きな要素であるためです。
そのため、言うまでもなく無視・放置はするべきではありません。
極端なことを言えば、
- こんなにアピールしているのに無視される
- 自分は必要とされていない
という、「満たされない」気持ちが積み重なることで
その後の「自我」を育む過程に、影を落とす可能性は否定できません。
「いつまで続くのか?」は重要なこと
大げさに述べましたが、「そうは言っても疲れる・・・」こともあるはずです。
成長過程における、一時的な通過儀礼の1つと言えますが
非常に個人差が大きなものであり、「環境」も影響します。
1つの例として、
「出産してから働き始めるのが早かった」
「離れる時間(保育施設に預ける)時間が長い」
そういった場合に嘘泣き・座り込みが見られやすいことは、ある程度事実であり適切な対処が必要です。
そしてその「匙加減」は、その「個性」に合わせる必要があります。
嘘泣きに「早すぎる」ということはないと考えられ、見分けるのが難しい時期(本当に泣いているのかも?)に
嘘泣きが重なってしまうことも、想定できることです。
また「無意識にうまく対応していた」ことによって、その嘘泣きの時期を問題なく通過できることも多いです。
そのため「いつから」というよりも「いつまで」ということが、より重要な要素と言えます。
「かまって欲しい」が大人になるまで続てしまう可能性も
冒頭で、「嘘泣きが座り込みに進化する」と述べましたが
その際の段階として、極端なことを言えば「非行」があります。
やむにやまれない事情を除けば、「してはいけないこと」は
基本的には、しても意味がない・マイナスが大きなものです。
それでもしてしまう理由として、「してはいけないことをして気を引く」ことがあり
思春期には珍しいとは言えないものでもあります。
それ以降のことは、言うまでもありません。
嘘泣きで、そんなに大げさに考えるべき?と感じてしまう方も多いかもしれません。
しかしこと自己承認欲求につながる要素に関しては、ある程度注意して見守る必要があります。
大切なことは「無視(放置)は絶対にしない」ことであり、「嘘でも見ているよ」と伝えることです。